佐伯城は、市街地と佐伯湾を見下ろす城山に築かれたお城です。江戸時代の初め、慶長6年(1601)に初代佐伯藩主として入部した毛利高政が築城しました。現在の佐伯城跡は都市公園や佐伯文化会館跡地となっていますが、佐伯市教育委員会の調査によって、様々な特徴が明らかになりました。
佐伯城跡の特徴1 近世の山城
調査によって、佐伯城跡は築城当初から山頂の本丸・二の丸・西出丸・北出丸と、麓の三の丸で構成されていたことがわかりました。このような山頂の城と麓の館をセットとする構成は、中世(平安時代末期~戦国時代)の山城に特徴的なものです。一方で、石垣をはじめとする近世の技術も使われていることから、佐伯城は中世の山城の構造を受け継ぎつつ、近世(安土桃山時代~江戸時代)の技術も使われていることから、佐伯城は中世の山城の構造を受け継ぎつつ、近世の技術で築かれた山城といえます。
佐伯城跡の特徴2 城と山を維持する工夫
山城である佐伯城を維持するためには、山の保護も欠かせません。雨水を適切に排水する雄池・雌池や、大雨で崩れた斜面を保護するひな壇状石垣など、様々な工夫が現地に遺構として良好に残っています。また、ひな壇状石垣のために他国から技術者を招いたことや、地震や台風による被害と復旧の状況など、これらの工夫を裏付ける佐伯藩の記録も豊富に残されています。
令和4年12月に国の文化審議会が開催され、佐伯城跡は「近世初頭に、それまでの城郭構造と築城技術を融合して築かれ、山体全体を維持してきた工夫が残る城郭として、我が国の近世城郭のあり方を知る上で貴重である」とし、国指定とするよう文部科学大臣へ答申を行いました。
令和5年3月20日、文部科学省の官報告示により、正式に国指定史跡となりました。
佐伯市内の国指定文化財としては6件目、国指定の史跡としては初となります。
佐伯城跡空中写真(2013年撮影)
山頂の城郭部分
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社会教育課 文化財係(歴史資料館内)/ 22-4234